米本学仁さんに聞く 自分にとっての「人生のドラマ」とは?



今回TRANBIが挑戦したCMのコンセプトは、「人生のドラマ」。
それぞれが「人生」というドラマの主人公である、という視点に立ってひとりひとりの人生観を浮き彫りにできたらという想いを込めました。

今回は、日々ハリウッド俳優としてアクティブに活動されている米本学仁さんに、ご自身の人生のドラマとは、そして人生の大きな柱の一つでもある「働くこと」について、お話しを伺いたいと思います。


―26歳の頃に、映画プロデューサーを志望して渡米した米本さん、現地でスカウトされ、俳優経験の無い中でのハリウッドデビューと伺いました。
迷いはなかったのでしょうか?


一切なかったですね。
渡米前は京都で病院の受付、事務当直をしていました。これがやりたい、これで食べていくんだ、という強い思いはなくて、自分が自然体でいられて穏やかに暮らせたらいいな、と思っていました。そんな時に悲惨な紛争のニュースを見たんですね。大切な人の命が、いとも簡単に失われていく現実が今、同じ世界の中で起きてるということがあまりに衝撃的で。

相手に対する思いやりや想像力が欠けているから、こういう悲しい事件が生まれるのではないか、というのが当時の僕なりの答えでした。だけど想像力や思いやりは当たり前に養われるものではないと思うんです。自分にとっては映画と音楽が、想像すること、想うことを教えてくれた大きな要素だなってその時思いました。そこで映画のプロデューサーになりたいと思うようになりました。

―海外での悲しいニュースがきっかけだったのですね。だからこそ、ハリウッドで映画を作ろうと。


そうですね、だから絶対やるんだ、と。
付き合っていた彼女とも別れて(苦笑)(一同「えっ」となる)
当時は英語もできず、実をいうとプロデューサーの仕事が何なのかもよく分かっていませんでした。入国審査では全力笑顔だけで乗り越えましたし(笑)
無遅刻無欠席で語学学校に通い、1日2時間睡眠で死に物狂いに英語を学びました。
これまでは自分が仕事をするとき「誰がやっても(自分以外が自分のポジションに入っても)スムーズに仕事が進行するように」ということを心がけていたんですね。実際に出来ていたかはさておき、そう心掛けていました。

だけど『47RONIN』(米本さんがデビューする事になった映画)で、映画にキャストしたいと言われて、強烈な『I LOVE YOU』をもらった気がしました。「自分」が求められている。それは当時の自分にとって、とても大きい事でした。その『I LOVE YOU』を大切にしつつ、今も役者を続けられています。


 

―なるほど、ありがとうございます。つぎにCMについてお伺いします。
TRANBIは会社を買う・売るプラットフォームですが、「M&A」や「事業承継」などはご存知でしたか?


M&Aというと巨大な資本を持った大企業が、新しい技術やパテントを持つ会社の株式を取得して大きくなっていくというイメージでしたね。企業をつなぐ専門家が何十億という巨額のマージンを得るとか。特にアメリカはそうですね。

―確かにそうですね、今少しずつスモールなM&Aも増えてきています。
今回のCMでは、後継者のいない中小企業と新たな経営者の出会いがテーマでした。


僕の育った大阪には東大阪という町があります。町工場が多く、巨大企業にも負けない技術力を持つような工場も多くあります。でもその技術を磨いていく努力、体力、収入面も含めて、続けることは簡単なことではないと思うんです。だから経営されている方は必ずしもそれを自分の子供に継がせようしないんじゃないかな。子供もその大変さをずっと目の当たりにしている。地元に帰った時に近所の工場が少しずつ少なくなっていくのを寂しいと感じつつ、そんなことを自分勝手に想像したりしました。

日本が誇る技術や想いを次の世代に繋げる、明かりが消えつつある場所にスポットが当たり、事業の未来が引き継がれていくことに何か協力ができるなら、という思いで今回TRANBIさんのCMに出演させていただきました。

―近年複業が盛んになってきています。
俳優さんにも兼業でビジネスをやっている方が増えていますが、米本さんは新しい仕事に挑戦できる機会があれば、やってみたいと思いますか?


最近思ってます!
それこそ自分はそもそもコンプレックスだった180cm180kgの身体をキャラクターとして今お仕事をさせて頂いてます。そんな自分だからこそロカボ関係のビジネスに興味がありますね。
食べる物をきちんと選ぶこと。その上で決して美味しさを諦めない。そして、どんな人生も生きるかを選ぶような。そういうことをできたら面白いかな。
いくらヘルシーでも美味しくないのは絶対嫌だって誰よりも僕が思っていますし(笑)、僕がやるなら、まさにそういう所なのかな。

あとは、教育(学校)にも興味があります。
子供の頃、人とコミュニケーションを取る事が苦手で、いつも自分の居場所が無いと感じていたんですよ。このままだと生きていられないな、と。それで小学4年生のある日に、1日で性格変えました(笑)

―えっ?


コップの水が溢れたというか。
当時、大人になって生きている自分を想像できないくらい、切羽つまってたんですね。
これは本気で自分を変えるしかない、って。
だから「学校で人気者のよんちゃん」になろうと思いました。大阪という土地の特異性もあると思うんですがひょうきん者という要素で一点突破出来るんです。「足が速い」「ドッヂボールが上手い」「カッコいい」「喧嘩が強い」よりも「面白い」が武器になる。そういう自分をプレゼンすることで居場所ができたんです。あ、ここにいていいんだ、必要とされているんだと。ある意味それが「演じること」ハリウッドへの原点なのかもしれないですね(笑)

当時は、「何かを演じている」感覚が大きかったのですが、居場所ができる事でその自分を認める事ができるようになってきました。子供の世界ってその場所しか無いことが殆どだと思うんです。他に逃げ場の無い唯一の場所なのに、みんなと違うだけでいじめられたりすることって多いですよね。それがきっかけで自分を偽ったり、愛せなくなったりする。でも「違い」って本当はとても豊かなことで、簡単ではないけれど、その違いと向き合って受け入れることが出来れば才能にもなり得ると思います。だから色んな違いがあっても、それ自身を育て、大事にしてあげられるような場所が作れたら素敵だなと思います。

―ちなみにTRANBIで米本さんが気になりそうな案件をいくつかピックアップしてみました。


▼タップすると、実際の案件情報に遷移します▼ ※2021年9月27日時点で公開中の案件です。

1. 駅徒歩30秒のスーパー内の惣菜屋&弁当販売の営業権利
2. 【大阪府:通所介護&訪問介護】会社譲渡案件
3. 琵琶湖近くの釣具店
4. 日本未上陸 ハワイの人気カフェレストラン
5. 【ものづくり企業】特定商材に特化したキャラクター商品の開発、製造、販売業務
6. 【事業売却】インフルエンサーマーケティングサービス


『全裸監督』でハワイのインチキコーディネーターをやってたので、ハワイのワードには引っ掛かりますけど(笑)
一番気になったのは「駅徒歩30秒のスーパー内の惣菜屋&弁当販売の営業権利」の案件ですね。

―あっ、ロカボ….!


▼タップすると、実際の案件情報に遷移します▼ ※2021年9月27日時点で公開中の案件です。

1. 駅徒歩30秒のスーパー内の惣菜屋&弁当販売の営業権利

そうです(笑)。これが駅から離れた地域のスーパーだったら、あらゆる人の暮らしを幅広くサポートする必要があると思うんですけれど、駅から30秒のスーパーならそうじゃなくても良いと思うんです。さまざまな場所から人が集まる可能性があるから。オンラインでの販売も加えて世界中が顧客になりつつ、専門性の高い、そこで売っているものが全てロカボのお店ができても面白いんじゃないかな、と思いました。
糖質カットの効果は何点で美味しさは何点、とか正直な評価基準を設定するとか。

そこに医療も組み込みたいんですよね!医学的見地や栄養、医療コンサルみたいな事まで総合的にサポートできたら、「このお店が置くものだったら信頼できる」と思ってもらえるんじゃないかなって。
ちなみに『チューズライフ』(choose life)って名前でやります!
食べるものから人生を変える。しかも「チュー」(Chew)って噛むって意味もあるじゃないですか、なので「人生を噛みしめる」みたいな(笑)
 

―どんどんアイディアが広がっていきますね!
自分のこれまでの生き方を踏まえてキャリアを選んでいくのもいいですが、自分の「人生のドラマ」を作っていくという考え方もできそうですね。


まさにチューズライフですね(笑)
僕が子供の頃は、サラリーマンならそれこそ波平さんとかマスオさんみたいに生涯同じ会社に勤めるのが主流だったと思うんです。でもこれからはサラリーマンだって副業をしたり、歳を重ねてからも学校に通ったり、主夫になったり、これまでのイメージ、枠を取っ払って多くの人が自分の仕事のスタイルを自分で見つけていくようになっていくんじゃないかな、と思うんですよね。

今僕は日米で個人事業主として俳優業を生業としています。日本では一つの芸能事務所に所属することが多いですよね。でもアメリカでは事務所に所属するというよりは、エージェント・マネジメント・弁護士・パブリシストなどの専門職の方々をそれぞれ選んで自分のチームを作ることが当たり前なんです。その上で日本のやり方を尊重しつつ、自分のやりたい事、可能性を制限せず、そんな自分を理解してくれる方々とチームとして仕事をしています。
人生100年時代になって、自分に合う仕事を見つけたり、自分のいろいろな可能性を活かせるように生きていけたら素敵だなと思います。




今回、撮影現場に立ち合わせていただき、終始気さくでにこやかな人柄にとても癒されました。
インタビューではブレることのない信念とそれでいて柔軟な発想力に撮影現場とはまた異なる米本さんらしい造詣の深さを感じさせていただきました。

「自分の可能性を閉じずに、常に開いていよう」という言葉は、米本さんの「人生のドラマ」を経て生まれたものだと、強く感じます。
これから益々、国内外でのご活躍を楽しみにしています!