2019-04-09

「当初は売り手ではなく、買い手として登録しました」 総申し込み数37件、都内学習塾の譲渡が決まるまで

平澤 成臣氏

写真左:平澤 成臣氏、写真右:東條 泰暁氏

 

東京都北区にある東塾(あずまじゅく)は、小学校1年生から高校1年生までの生徒を対象とした個別指導型学習塾です。

開校して約6年、「心の教育こそが学力向上の最短距離」という信念で子どもたちの自立心を育てていく指導が評判をよび、ホームページと口コミだけで生徒数を維持してきました。

今期黒字化復活を予定していた同塾ですが、昨秋同業者への譲渡を行いました。元オーナーで売り手の東條泰暁氏と現オーナーで買い手の平澤成臣氏に、事業承継の経緯を伺いました。

 

売り手・東條泰暁氏

●なぜ事業承継を考えるようになったか

当初は塾の売却ではなく買収を考えていました。きっかけとなったのは開校4年目の2016年です。1校目の個別指導型学習塾の経営が安定し利益が出ていたので2校目を開塾したのですが、信頼して新校舎を任せた社員が逃げてしまったのです。

急なことで次の指導者を見つけることもできず、開校約1カ月にして閉校、箱と借金だけが残るという憂き目に遭いました。 零細企業は常に人材不足問題はつきまといますから、今後も同じようなことが起きないとも限りません。

そこで「経営は苦手だが教育熱心な人がいる塾」を買収することを思いつきました。買収なら、もともといる講師を継続して雇用することができますから、通ってくれている生徒や保護者にも動揺を与えることもありませんし、スムーズな多店舗化を実現できるのではないかと考えたのです。

M&Aで検索すると上位に表示されるトランビを含めていくつかのM&Aサイトに登録して、ここはと感じた複数人の塾オーナーにコンタクトをとりはじめました。

●意外にも、買い手ではうまくいかなかった

しかし、私の場合は買い手として登録したときにうまくいきませんでした。個人経営の学習塾の場合、子どもたちに教えることに熱心な経営者であればあるほど、採算を度外視したギリギリの経営をされている方も多いように思います。

やりとりの最中に経営破綻してしまったのか、あるいはほかの買い手に決まったまま返信がないのかは分かりませんが、何カ月かやりとりをしていたのに突然返事がこなくなるといったことが続いたのです。 私の方も普段の仕事がありますから、買収のことばかりに時間を割くこともできません。

「個人で売り手様を探してやりとりを続けていくのは時間がかかり過ぎる。やはり仲介を入れないと難しいかもしれない。トランビ上でも仲介が入っている案件はあるし……」と思い始めていたとき、ふと「自分が売る側の立場で考えられていないんじゃないか。

自分の会社を売りに出してみれば売り手様の気持ちが分かるのではないか」という考えがよぎりました。

自分の会社を好きで手放したいという人は少ないでしょう。自分が売り手になって買い手様とやりとりをしてみれば、売り手が売りたくなる「買い手側の人柄や条件」であったり、「自分の会社にどのくらいの価値がつくか」を客観的に見て考えることができるのではないかと思ったのです。

●売り手に回ったら多数のオファー

そこで今度は売り手としてトランビに登録しました。その際、注意したのは事業紹介の書き方です。ほかの売り手の方の事業紹介は、初めて読む人には分かりづらい自分本位な書き方をされている方が多いように感じました。

そこで自分の案件では、「事業内容、特色、現在の生徒数、譲渡後に残る従業員がいるか、希望条件」などを簡潔にまとめて分かりやすくし、「見出し、リード」を入れることで、目につきやすくなるように工夫しました。



案件詳細

https://www.tranbi.com/buy/detail/?id=1231

事業紹介をアップしたところ、すぐに20~30件の反応がありました。特にトランビは買い手様の初動が早く、オファー数も他社と比べて圧倒的でした。

ご連絡をいただいた方のなかには、明らかに同業者で「他社の帳簿が見たいだけ」という感じの方もいましたが、「業界素人なので運営は任せたい」という方や、「地方で塾を経営していて、東京で展開する際の旗艦店にしたい」という方、飲食業オーナーで「多角化経営のために教育業にも興味がある」という方などもいました。

ちょうど飲食業界が飽和状態にあって、「家飲み」も増えてきた時期でしたから、新規事業を考えている飲食業の方からのオファーが特に多かったように思います。

サイト内のメッセージのやりとりの時点で、「情報をとろうとしているだけと思われる方」「買ってやる」といった無礼な態度の方や「生徒を任せられなさそう」と感じた方はお断りしました。逆にそれ以外の方には業種に問わず、できる限り会ってお話をさせていただきました。10人くらいはお会いしたと思います。

トランビを利用されている方はアクティブな経営者が多いので、「こういう考え方をすれば現状を改善できるかもしれない」といった新しい発想の息吹をいただいたりしていくなかで、「もともとのコンサルタント業も忙しくなってきて、自分も次のステージにあがっていく時期なのかもしれない。真摯に子どもたちと向き合う気持ちのある経営者であれば譲渡しよう」と考えるようになったのです。

●1回目の事業承継交渉は決裂した

複数の買い手様とやりとりを重ねた結果、「うちで事業承継をしたいから、募集を締め切ってくれ」というところが現れたので、トランビを打ち切りにして最終調整に入りました。ところが、交渉を重ねるたびに先方が売却金額をどんどん値切ってくるのです。

「お宅の会社のここにもここにも問題がある」と指摘が続き、当初の提示金額の1/3くらいの金額を提示されるまでになりました。

資金繰りに困っているわけでありませんでしたから売却金額にはそこまで執着していなかったのですが、愛着のある会社の金額がどんどん下げられていくこと、最初と話がかなり違ってきていることに対して不信感が募りました。

弊社の顧問税理士とも話し合い、この交渉は白紙にしました。 そんなことがあって心身ともに憔悴し切ってしまい、売却については一時放置した時期もあります。

しかし、「とにもかくにも、私が信頼できない相手に売却してしまったら、子どもたちにも保護者様にも申し訳が立たない。焦らないであと1年は塾を続け、その間に本当に信頼できる買い手様を探そう」と、腹を決め、2018年5月に再登録した際に、オファーしてくださった買い手様の一人が、平澤さんだったのです。

●買い手の決定条件は


条件面は前回と同じく、年度末までは私が責任を持って対応すること、売却額は事前に提示させていただいた額をベースに、税金面や支払い時期などとともに相談して着地点を見つける、という方法をとらせていただきました。

平澤さんに決めさせていただいたのは、手をあげてくださった方のなかでも特に「この方なら子どもたちを安心して任せられる、保護者様にも納得していただける方」と感じたからです。私はコンサルタント業もしていますから、譲渡して1、2年でつぶれてしまう会社が少なくないことはわかっていました。

ですから、最近流行っている「サラリーマンでちょっと会社を買ってみる」というような人では難しいとも感じていましたし、経営者としての器があって、事業を引き継げる人材がいる方が理想でした。 平澤さんの塾は学芸大学生が教える個別指導塾ですから、教える側の資質に間違いはありません。

また、塾経営の多くを学生責任者たちに任せて育てていくマネジメントの仕方にも共感を覚えました。 成約までにお会いしたのは、3回だけです。1回目に平澤さんは、学生責任者の一人と同席してお越しになりました。

そのときに塾の買収の交渉の席にも部下に経験を積ませていく姿勢に、「この人なら塾をつぶしてしまうことはないだろう」と感じました。2回目には、失礼ながら、口だけの方もたくさん見てきたこともあり、国分寺の平澤さんの塾にお邪魔しました。

そこでどのようなスタイルでの指導をしているかも伺い、誠意を持って、「任せていただきたい」というお話をいただいたので、直観的にお任せしようと決めました。

NDAはトランビで締結済だったこともあり、その後はメールのやりとりだけで、3回目にお会いする際は契約を交わしていました。

●苦労したのは書類一式の作成

平澤さんが私に任せてくださったので、条件面はまず両方にお得感のある契約内容のたたき台を私が作り、確認していただいて調整していきました。

金額面は、私は最低限の価値を見出してくださればいいと感じていましたし、平澤さんもお金にそこまで執着心のある方ではありませんでしたから、もめることはありませんでした。

こちらからは、長く続けていただくことと、年度末まで私も関わらせていただくことだけはお願いしました。 行政に提出する契約書一式の作成は、専門家を介さずに私が作成しました。

平等な視点を持って作成すれば、個人でもできないことはないと思ったのですが、これが多少てこずりました。分からないことは事前に行政に問い合わせて書類を作り、誤字脱字も含めて何度も確認をして進めていったものの、役所に書類を持っていくと事前に確認した内容と違うことを言われるということもありました。

これが面倒と思われる方は専門家に作成をお願いすればスムーズにできると思います。私個人としてはいい経験になったので、自分で作成して良かったと思っています。

●成約後のかかわり方

最終的に、二度目の登録から6カ月後の2018年11月に最終合意を締結しました。総申し込み数は37件、実名交渉したのが15件でした。

成約後も、子どもたちの受験が終わるまでは私は業務委託という形で塾長を続けさせてもらい、国分寺から講師の方に来てもらって、やり方を覚えてもらうという形をとりました。

みなさん優秀なので、すぐに生徒の顔と名前を覚えてくれましたし、私もこどもたちと先生の相性を考えて指導にあたってもらったので、なんら問題なく引き継ぎができました。

子どもたちと保護者への説明会は、都立の合格発表後の2018年3月半ばに行いました。 個人塾の塾長がいなくなることに対して、保護者から不満の声があがるのではないかと思われるかもしれませんが、私はいままでにもさまざまな塾で教えた経験の中で、人気講師がいなくなったり、経営者が代わったりしても、しっかり引き継ぎさえしていれば、大きな問題が起きないことはわかっていました。

離れてしまうとしても、1割くらいです。保護者の方にもしっかり説明をすれば「東條先生が信頼している方なら大丈夫だろう」ととらえていただけると思っています。

買い手・平澤 成臣氏

 

●買収を考えた背景

トランビに登録したきっかけは、事業拡大のためです。

私は東京・国分寺で小中高校生を対象にした完全個別指導塾を2017年から経営しています。

約20人いる従業員の多くが学生アルバイトですが、全員教えることのプロである東京学芸大学生です。

生徒ごとに合ったテキストを買い揃え、「絶対に結果を出す」ことを実践してきたため、口コミだけで生徒数は増え続け、現在生徒数は約40人、キャパシティの関係で新規はお断りしている状態です。

先ほどの東條さんからの話にもあったとおり、経営の多くをアルバイトの責任者たちに任せていて、人の採用、生徒の面接、保護者の面談、買わなければならないもの、講師の給料など、アルバイトの責任者たちに主導して決めてもらいながら運営しています。

他県からも塾を開校して欲しいと要請が増えてきたので、全国に広げる前の地盤固めとして、都内のほかのエリアでも2校目を開塾したいと思いました。激戦区である東京の実績があれば、全国にも広げていきやすいですから。

ただ、1校目は知識ゼロのままスタートして起動に乗るまでに数か月を要しましたし、個人塾はエリアごとに集まる生徒に特色が出がちです。

うちの国分寺校も開塾時は公立の子どもたちの指導を考えていましたが、現在は私立に通う子どもが8割です。

ですから、2校目を開塾するにあたり、ゼロから生徒集めをしていくよりは、いまある学習塾を承継させていただくほうが、集客への苦労もなく、引き継ぎ期間中に個別の対策も考えることができますから、リスクを回避できると考えたのです。

一方で、塾の買収とは別に、ホテル事業についても買収を模索していました。教育事業は伸ばしていきたいものの、人件費や教材費などにかなりお金がかかります。ですからほかの柱となる事業を買収して、その売り上げを教育事業に注ぎ込もうと考えたのです。

●トランビに買い手として登録、オファーを出す

2018年の5月頃、「M&A」でサイト検索をした際、頭のほうに出てきたいくつかのサイトのなかから、直感でトランビを選び、東京の教育事業とホテル事業を検索しました。

サイトを見て最初に感じたのは、曖昧な書き方をしている経営者が多いということです。

もちろん、会ってみないと経営者の人柄もわかりませんから、話を聞いて判断しようとは思っていましたが、検索の時点で塾のある具体的なエリアや譲渡理由は知りたいと思いました。

例えば23区内の塾でも、区によってカラーは大きく異なります。

また、「売り上げ好調」と書かれていたものもありましたが、好調なら売る必要がないようにも感じますから、なぜ売りたいのかといった譲渡理由を知りたくなります。

検索の結果、ホテル事業は私の条件と合致する案件がなかったので、教育事業で目に止まった数件にオファーを出し、最初にお目にかかったのが東條さんです。

お話をうかがって、単なる儲け目的ではなく、子どもたちのことを真面目に考えて塾経営をされてきたことが分かったので、ぜひ交渉に移らせていただきたいと思いました。

うちは私立の生徒が8割の完全個別指導塾ですが、東塾は公立の生徒がほとんど。

生徒の自立心を養いながら自習型に近い個別指導をされているところにも魅力を感じました。

私たちにはない領域ですから、教え方を取得して今後に活かせると思いました。交渉を具体化していく過程で、トランビのサイト内で関西の学習塾のオーナーとも連絡はとりました。

ただ深い話にはなりませんでしたから、やはり東條さんとご縁があったのだと思います。

●事業継承後、完全譲渡まで

事業承継のための書類一式の作成など、細かなことは全て東條さんにお任せして、3回目の昨年11月に成約しました。

金額面などは、私も東條さんもあまりこだわっていませんでしたから、お互いが納得できるところでまとまりました。

事業承継以降、東條さんには業務委託契約をさせていただき、年度末まで残って引き続き子どもたちを教えてもらうことにしました。

同時にうちの講師を派遣して引継ぎを行ってもらいました。

東塾に関しては、塾長の東條さんありきで入塾を決めた子どもたちも多いと思いますから、教える講師が変わっても東塾方式を残す。

そこから新しいICTを取り入れた授業なども加えていくほうが、子どもたちにも興味をもってもらえるのではないかと考えています。

2018年の秋以降は、うちの従業員が東條さんと一緒に教える機会を設けていて、今後子どもたちが動揺することは想定できますが、極力回避できると思っています。

きっちりと引き継いで体制を整えれば、保護者の方にもご理解いただけると信じています。  

聞き手/干川 美奈子
編集者・ライター/「プレジデント」「プレジデントFamily」などをはじめ、多分野の雑誌編集部での在籍経験を活かし、ビジネスパーソンから子ども向けまで、ビジネス、生き方、旅、健康、教育、芸能、マネー、子育てなどの記事や書籍の編集・執筆に携わる。趣味は観光地巡りに留まらないディープな旅と美味しいものを食べること。