2019-10-02

0を1にするのが得意な売り手、 1を100にするのが得意な買い手へバトンタッチのM&A

売り手:正井貴さん  買い手:株式会社イノベーション 富田直人代表

譲渡成立。左がコクリポの売り手、正井貴さん。右が株式会社イノベーション代表の富田直人さん

 

個人個人が別の場所にいても講演やセミナーを聞いたり、会議を行ったりすることができるウェブセミナー「ウェビナー」はアメリカでは広く認知されており、多くのユーザーがいる。このサービスを日本で広めたいと生み出されたサービスが「コクリポウェビナー」だ。売り手で創業者の正井貴さんと、買い手で株式会社イノベーションの代表を務める富田直人さんにインタビューした。


取材は株式会社イノベーションで行った。写真は同社受付

 

創業の思い 自ら抱えていた悩みを解決するサービスは受けると起業を決意

正井さんがウェビナーを知ったのは、バイオベンチャー企業の営業職時代。アメリカのバイオメーカーがアメリカで開催していたウェブセミナーに、日本にいながらにして参加したのがきっかけだった。
「日本で自社商品をアピールする効率的な方法は、展示会や自社開催のセミナーです。しかしその方法では、足を運んでくださった方にしか説明できません。また、自分が他社のセミナーに参加したくても、往復にかかる時間や交通費のために見送らざるをえないことも度々ありました。各社がウェビナーを使えば営業効率は格段に上がる、企業側にも参加者側にも便利なサービスだと感じたんです」
そこで正井さんは勤めていた会社を退社し、システム開発をしてくれる技術者を探して、2016年1月にコクリポを設立する。試行錯誤を繰り返しながら開発、実証実験を続け、2017年5月から有料版の販売をスタートさせた。一方的な動画配信ではなく、参加者とコミュニケーションをとりながら説明ができること、「高い品質・低いコスト」で同業他社のウェビナーサービスと差をつけてきたコクリポウェビナーは着実にユーザーを増やしていき、サービス開始2年目に前年比売り上げ4倍、アカウント数は3倍に成長した。
そんななか、2019年3月に、正井さんはトランビを通じて会社の売却を呼び掛けた。仲間と苦労して一から立ち上げた企業であるはずなのに、なぜだろうか。
「私自身、問題を見つけて、それを解決するためにどんなサービスがあったらいいかを考え、そのサービスを具現化していく0を1にしていくプロセスに強い思いがあるので、サービスが認知され、きちんとニーズの存在を実感できた時点で、1から10、10から100に広げていくことに長けた会社にお譲りできたらと考えました」(正井さん)。2018年末に来期をどうするかをメンバーと話し合っていくなか、他社に引き継ぐことを決めたという。


正井さんはスマホを通してスカイプで参加

 

売り手の心得 3つの基準を設けていたから、迷いがなかった

大学卒業後、コンサルタント業界やM&A業界にも身を置いていた正井さんは、M&A仲介業者についても知識があり、3月にはトランビをはじめとした複数の企業に登録を始めた。「複数企業で情報を出したなかで、最終的にトランビに決めたのはいいご縁をいただいたからですが、トランビは買い手希望の方から手が上がるのがとにかく早いと感じました。当日か翌日からすぐ連絡がきて、最終的に13社からお申し込みをいただき、4社と実名交渉させていただきました」。
正井さんは企業と実名交渉するにあたり、3つの明確な基準を設けていたという。「1つはコクリポウェビナー事業をきちんと大きくしていただけるような意思、能力、計画の具体性を感じられること。次に継続して残る社員が幸せに仕事をさせていただけそうか。3つ目がお互いに合意を得られる売却金額かです。1つ目がしっかりしていれば、あとの2つもある程度安心できると考えていました」。

IT系以外の業種からも手はあがったが、事業を大きくしていってもらうことを考えたとき、実名交渉にはIT系の4社が残った。そのなかの一人が、株式会社イノベーションの富田直人代表だ。
同社は法人向けマーケティング支援事業や資料請求サイトの運営を行うIT企業で、現在の取引先は1000社を超える。富田直人社長は、大学卒業後に入社した企業で営業職を経験。電話でアポイントをとって訪問を繰り返す“熱血”営業を行うなか、マーケティング戦略をしっかり立てた効率的な事業運営の必要性に気づき、2000年12月に退社。
その後「インターネットを活用して法人営業に変革を起こしたい」という想いのもと、株式会社イノベーションを創業した。会社は順調に業績を伸ばしていき、2016年には東証マザーズに上場、現在の従業員数は85名だ。


富田社長は今後も積極的にM&Aを続けていきたいと意欲を見せる

 

買い手の心得 売り手の立場に立って交渉を進める

富田社長がM&Aを視野に入れ、トランビに登録した理由はなんだったのだろうか。
「端的に言えば、事業拡大のためです。上場すると株主からの期待が大きくなりますし、それに応えなくてはなりません。そこで上場当初からM&Aチームを立ち上げてはいたのですが、1年間動けない時期があり、再スタートを切ったのが今年の3月でした。M&Aをする企業選定にあたっては、我々のなかで譲れない条件を3つ定めました。内容は外部に出していないのでお伝えできませんが、その条件に合う企業を業種問わず探していったのです。特にトランビではさまざまな業態を閲覧できるので、売りに出ている異業種の企業を見ながら、これは弊社の事業としてはある、ないの理由を含めて考えていくトレーニングにもなりました」(富田社長)

チームでは役割分担をし、案件探しは富田社長が行った。名の知れているM&A仲介業者にはほとんど登録をしたり担当者と会って情報を集めていたところ、トランビで見つけたのがコクリポだったという。
「ウェビナーやIT企業に限定していたわけではなく、定めた3条件に合う企業があったら即返信をするようにしていました。コクリポもトランビに上がったその日のうちに返信したと思います。オファーをしてもほかの企業に決まることもあれば、先方の売る気自体がなくなることもありますから、条件に合う企業があればなるべく早くアプローチすることも重要だと思います」(富田社長)
正井さんとやりとりをしながら、富田社長は日本のウェビナー市場を調べたり、コクリポウェビナーのシステムの確認などを行った。
「コクリポウェビナーを使ったセミナーを受けたり、細かな部分までチェックしましたが、プロダクトも素晴らしかったんです。すでに日本でウェビナーサービスをしている企業はありましたが、コストが高いこともあって利用する企業は少なかった。実際、当社でも事業内容にウェビナーを利用すると効率的にもかかわらず利用していなかったんです。社員に理由を聞いたところ『なんとなく』と明確な答えは出てきませんでした。これはつまりウェビナー提供事業者各社がしっかりとした営業をしてこなかったことが原因なのではないかと感じました。アメリカと日本では100倍くらいの市場差があるので、日本市場ならこれからウェビナーを広げられると確信しました」(富田社長)
富田社長は、コクリポやウェビナーを知れば知るほど、社会的に意義があるサービスだと実感したという。「一つは、労働生産性が大きく変わります。開催側はわざわざ場所を借りずに自社でできますし、受ける側もわざわざそこに行かなくていい。もう一つは、地方と都会の情報格差がなくなることです。毎日のようにさまざまな場所でセミナーが行われる東京にいれば多くの情報を得やすいわけですが、地方では毎回参加することは難しい。ウェビナーでセミナーが行われれば、その格差が是正されるわけです」
実際の使用感も確かめながら、事業内容の不明点などについてはリストにしておき、会ったときにまとめて確認を行ったという。


正井さんが感激したと話す受付のウェルカムメッセージ。各担当者が記入し、無人受付前に掲示する

 

お互いに誠意を見せ、信頼関係生まれた

正井さんに初めて富田社長に会って受けた印象を聞くと、「最初は1対1で、その後社員の方も含めてお会いしました。富田さんは社員の方に対してフランクに接しながらも公平な目で意見を聞き、正しいことを積み上げていくような姿勢をお持ちの方でした。また無人受付にも来訪者ごとに手書きのウェルカムメッセージが置かれているなど、中の人も外の人も大事にする社風にも好感を持ちました」という答えが返ってきた。人柄だけで売却を決めるわけではないものの、安心感を抱いたようだ。
一方、富田社長は正井さんに対して、真面目で真摯な印象を受けたという。「自社の数字の出し方やネガティブな情報をオブラートに包んで、必要以上に資料を良く見せようという方が多いなか、正井さんの資料にはそれが見受けられなかったんです。買い手側にとって有利な自社のネガティブな部分も、『ここだけはちゃんとお伝えしておきます』と事前にご説明があった。さらに、契約の一言一言に細かくて速く、企業としての誠実さも伝わってきました。当社もM&Aは初めてのことでしたが、信用して進めることができました」
お互いいい印象を持てたわけだが、富田社長側にすれば、ライバルがいるなか、どんなことに注意して「選ばれる存在」になったのだろう。
「正井さんに何度も確認をして、価格以外の売り主の立場やメリットを常に意識したことです。一番はスケジュールで、面談開始後3カ月で譲渡というご希望があったので、それに沿うように検討しました」

実際、驚異的なスピードで譲渡は行われた。3/27にトランビで案件を見て連絡をとり、4/2に初面談。4月上旬からWEBセミナーの参加などシステムのチェックを行い、4月末には法務DDを開始、5月末にはほぼ売却が確定し、6/28には譲渡が完了している。
「このスケジュールで達成できたのは、お互いの弁護士やスタッフが優秀だったことが大きいと思います」という富田社長に、正井さんも「富田さんは、スケジュールも含めてこちらの要望を真摯に聞いてくださいました。極めて早く明確に、ありがたい内容で具体的なお返事をいただけたことは、大きな決め手になったと思います」。
今回の案件の場合、買う側の富田社長がSaaSシステムに慣れておりサービスを利用することで一通りの理解はできた。また法律的な部分は詳しい弁護士をつけることで、売り手も買い手もM&Aが初めてでも、問題なく譲渡が完了した。

このM&Aで、正井さん以外の技術スタッフはイノベーションの社員として残る道を選んだが、その点で難しかったことなどはなかったのだろうか。「コクリポの社員の方に残っていただかなかったら、M&Aは難しかったと思います。技術者もマーケターも新たに用意しなければなりませんから。当社としてもただでさえ人手不足なのにと、全社的にネガティブな雰囲気になってしまったと思います。いまはコクリポから加わってくれた彼らが会社になじめるよう、ものが言いやすい環境を作ったり、営業との橋渡し役のようなフォローする担当をつけたりもしています」(富田社長)
コクリポウェビナー事業は今後、イノベーションがもともと持っていた集客メディアも加えるなどの展開もしながら、サポートを増やして利用者を拡大していく予定だという。富田社長は、今後も事業拡大のために、M&Aについては積極的だ。


 

正井さんは現在コンサルタントとして新たな道に進んでいる。最後にトランビを使ってみた感想と、今後利用される方へのメッセージをいただいた。
「トランビが良かったのは、買い手希望の方が興味を持って手を挙げてくださるので、一定以上の熱量を感じました。また、情報をどの段階でどこまで出すか、それを自分でコントロールできたことは、個人的に安心感がありました。一つだけ、こうしたらよかったと感じたのは、最終的にエリアを絞ったので、最初から条件で書いておくべきでした。私も自分自身が売り手になるのは初めての経験でしたので、ほかの方にアドバイスをするとしたら、事前に『どうしたいのか』『譲れないことはなにか』を明確にしておくことです。買い手の方と対話をしていくにつれ、売り手としてはどうしてもいろいろな思いが沸いてきてしまう。そのときに立ち返るものがあって、常に自問自答することが大事だと思います。それがあると、買い手の方に対しても、筋が通った話ができますから」

株式会社イノベーション https://www.innovation.co.jp

  • 聞き手/干川 美奈子
  • ライター紹介干川 美奈子

    編集者・ライター/「プレジデント」「プレジデントFamily」などをはじめ、多分野の雑誌編集部での在籍経験を活かし、ビジネスパーソンから子ども向けまで、ビジネス、生き方、旅、健康、教育、芸能、マネー、子育てなどの記事や書籍の編集・執筆に携わる。趣味は観光地巡りに留まらないディープな旅と美味しいものを食べること。