2020-09-08

【失敗事例に学ぶ・前編】個人M&Aでものづくり企業の社長になるも、2年半で1億円以上の負債を抱えて民事再生に至るまで

買い手(個人):匿名

<個人のM&A失敗事例>

   

今回はTRANBI外でM&Aを実行し、その後の会社経営に失敗したBさん(仮名)に体験談をお伺いしました。東京のITコンサルティング会社の経営者が、思い入れある地元からの会社買収の提案を受けて、M&Aの実行を決意。ものづくりという未経験業種ながらも自らの経験やノウハウを活かせば付加価値を生み出せると買収を決断しましたが、結果的に自身の描いた道を歩むことができず、2年半で民事再生の申し立てから廃業へ。その裏側にはどんな事情があったのか。過去に戻れるとすればどこを改善するか。Bさんにとっては辛い経験ですが、これを多くの方に知ってもらい、よい経営・M&Aに繋げてもらいたいというご好意でインタビューが実現し、貴重な経験を赤裸々に語っていただきました。今回は前編のご紹介です。

【衰退産業に妙味あり。地方密着のものづくり企業を個人M&Aで買収】

- まずは個人でのM&Aに至る経緯を教えていただけますか。
もともとは東京のIT関係の企業で働いていましたが、2007年にIT系の営業コンサルティング会社を立ち上げて経営者を務めてきました。しかし地方の生まれの長男ということもあり、いつか実家に戻らなければいけない、ならば地域に根差した事業者さんを買収させていただいて、経営していくのが面白いんじゃないかと。また、「衰退産業に妙味あり」と、どんなに縮小市場でもやりかた次第で生き残れるんじゃないかと思っていました。

2005年頃から事業引継ぎ支援センターを回ったり、本やネットで調べたりして、買えそうな会社を探していました。それこそTRANBIもよく見ていましたね。

結局、地元でM&A仲介をおこなっている会社に私のほうから「いい会社ないですか?」とアプローチして、紹介してもらったのが、今回結果的には民事再生をすることになったものづくりに関わる企業A社でした。

買収の交渉には紆余曲折がありましたが、結局、数千万円を支払い、株式譲渡という形でM&Aにいたりました。前社長は現場の重要な仕事(設計、原価管理、生産管理など)を担っていたので、前社長の代わりになる人が入るまでは、引き続き会社に残っていただくことになりました。金融機関からの借入における代表者保証は、前社長から私が受け継ぎました。



(※写真はイメージです)

 

【会社買いたい買いたい病に罹患。数字を見る目が曇った】

- 交渉の段階で違和感はありませんでしたか?
当時、A社の売上は2億円超で、社員は10数名。交渉時には決算書などを通じて、いろいろな数字を見せていただきました。粗利率が3割弱で、借入金も2000万円程度でほぼお付き合いで借りたような形で、実質無借金経営に近い状態でした。真面目に経営されているんだなという印象を受けました。

もちろんデューデリジェンスもおこないました。仲介をしてくださった会社から分厚い資料を渡されて、それを見ても直近の決算で赤字はないし、事業も回っていて継続性もあった。そんなに悪い会社じゃないなと感じました。

またものづくりは全くの未経験業種でしたが、これまで私自身、マーケティングなどの領域に携わってきた経験があるので、集客して新規の注文をとることは、この業界でも応用できると思っていました。東京でこれまで通りコンサルティングもしながら、現場の仕事は現場の人たちに任せる、両輪でいけるだろうと。

しかし今思うと、私は重度の「会社買いたい買いたい病」にかかっていて、数字を見極める目が曇っていたことは否めません。この病に罹患すると、すでにその会社を所有している自分がイメージできてしょうがないんです。

このときも顧問税理士さんに「買うほどの会社じゃないですよ」とアドバイスをもらっていたのに、この病のせいで全く耳に入っていませんでした



(※写真はイメージです)

 

【自転車操業の経営実態、決算書の数字を理解していなかった】

- 購入してから「おかしい」と気づいたのは、いつ頃でしたか?
購入して蓋をあけてみると、会社はずっと自転車操業。経営が綱渡りであることは、すぐに気づきました。前社長の親族の方が経理をやっていたのですが、前社長が経営者に代わってから「いいことはなかった」と、はっきりおっしゃっていました。ただ受注案件自体は続いていたので、なんとかやってこられた。つまり会社が潰れなかったのは、仕事が途切れることがなかったからです。

実態としては伝えられていた粗利率は実現できていませんでした。購入前に見せて頂いた決算書は粉飾されたものではありません。ですが中小企業は、うまく調整すればその年だけ数字をよく見せることができます。ですから交渉時には、そんなに悪くない決算書を作られたのでしょうね。悪いことではないですし、それは理解できます。私が逆の立場でもそうしていると思います。

それでも営業してお客さんをとってくれば、将来的に売り上げは伸びるだろうと思っていました。実際、最後の事業年度には集客イベントをおこなうなど、営業に注力したかいもあって、受注は1.5倍に伸びました。しかし、それが逆に、経営を苦しめる結果になってしまった。これこそ、未経験業種の落し穴でした。

A社の事業は丁寧さが売り。受注は増えても社内で対応できる人数には限界がある。受注した仕事をこなすために外注が増えたことで、通常よりも余計な費用がかさんだり、現場の管理が難しくなったりという事態が起こってしまったのです。

また、従来から適切な原価管理もできていなかったことで、さらに状況が悪化しました。私どもの仕事は、1案件あたりの金額が比較的大きく、また受注から納品まで時間がかかります。いったん受注すれば、多くの人が関わるため、受注が増えれば仕入れも増えて、毎月の支払いも多くなり、どんどんと苦しい状況に追い込まれてしまいました。

【粗利率を見て愕然。自分は何もできていないことを悟った】

- 民事再生に至る決定打となった出来事があったのでしょうか?
忘れもしない最後の事業年度の9月のこと。現場の担当者から、あるクライアントの契約手続きを依頼されたんです。そこで何気なく「このクライアントの粗利率はいくらなの?」と聞きました。その回答が15%でした。

私どもの業界で粗利率は30%までいかなくても、22~25%はないと、とても回していけません。そうでなければ受注するほど、手持ちの現金が減っていってしまいます

「どうしてそんなに低い数字なの?」と聞いたら、「前社長がこれでいい」と言われていると。その瞬間、自分は何もできていなかったことに気づきました。会社を購入後、お金も含めて大事なことは徐々に移管しなければいけないのに、前社長から「大事な部分は私がやるから、あなたはあなたのやることをやってください」と言われ、目上の方の意見を尊重するという心情もあり、結局、自分の描くストーリーで引き継ぎが全くできていませんでした。

それに加えて、当時は会社の先の見通しが立ちにくい状況にありました。粗利率15%では受注しても経営は苦しくなる一方であり、この水準では新たな受注も断らざるを得ませんでした。それだけでなく、見込んでいた契約が立て続けに失注するといった事態も重なり、自転車操業の終わりが現実のこととなりました

このまま経営を続けていてもやがてくる終わりまでの延命に過ぎない、借入を増やしてもより苦しい状況が近いうちにやってくるというシナリオが見えた瞬間、法的な手続きをとろうと弁護士さんに連絡を入れました。

------------後編へ続く(9月15日(火)に公開予定)


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  • 池田純子)
  • ライター紹介池田純子

    大学卒業後、出版社勤務を経て、フリーのライター・編集者に。暮らしやお金、子育てにまつわる雑誌記事の執筆や単行本の製作に携わる。さまざまな生き方を提案するインタビューサイト「いま&ひと」を主宰。